夜の歌

時々このまま消えてしまいたいって思うのは僕らは何故だか儚いものに憧れるから

どうでもいいけど、どうでもよくない睡眠時間の話。

 

 

突然だけど、私は人より睡眠時間が長い。

 

最適睡眠時間は9時間である。

自分でもちょっともったいない気はしている。

起きていると何でもできる。特に21時以降はこどもが就寝するので絶好のすきなことができる時間になる。しかし、今は仕方ないと思っている。

学生時代、6時間くらいしか寝ていなかった。

それでも人並みなわけだから、自分では睡眠時間は足りていると思っていた。でも、毎日授業中寝ていたし、居眠り運転で事故をしたこともある。

結婚して、こどもができて21時には就寝するようになって、日中眠くなることがほとんどないことに気づいた時に初めて、「私の最適睡眠時間って9時間なんだなぁ」と実感したのである。

 

そんなわけで寝れない時はストレス溜まりつつある時だなぁと自覚して発散するように心がけている。

(月に何度か全然寝れない日がある……←それでも寝ているんだけど、2時くらいに目覚めてそこから寝れない、今日もそんな感じ)

 

 

 

しいたけ占いによると、新しいことを始める準備を着々としている週らしい。

 

 

新しい病院に変わったら、ADHDと言われた。

先生はそう言ったけど、病名にはこだわらずに困っていることがよりよくなるようにやっていこうと言われた。

 

幼稚園の頃、将来なりたいものは本屋さんと書いた。本が大好きだった。

ふと、夫と車内で話していて、宝くじがもし当たったら、本が読みたい子供に本を配りたいという話になった。移動図書館か移動本屋さんになりたいと急に考えるようになり、最近はずっとどうしたら私が書店が開業できるか考えている。

考えるだけはタダだけど、元来の衝動性があるので、現在の仕事が副業禁止でよかったな……と少し安堵している。

 

 

それでvaluebooksのブックバス(ブックギフト)を知り、「これこれ!こういうことをやりたいんだよね~!」と強く思ったんだけど、どう見ても個人でできる感じでもないし、事業所を開設できる感じもしないし(NPO法人って7人必要らしい……)子供に本を届けたいという思いはNPO法人の方が叶えやすいかなと思ったんだけど……現状子供と関わるしごとしていないし、難しいだろうな……

と妄想をずっとくりひろげている話。

暇なんでしょうね……

 

 

 

そんなわけで、今年も自分のペースでがんばります。よろしくお願いします。

 

 

 

アンハッピーエンドに対する私の考察。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝と天気の子のネタバレを含むかもしれません。見たくない方はここで閉じていただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を劇場で見てから、私は何となくアンハッピーエンドが苦手になってしまったのかな、と感じていた。

 

 

何故なら、昔はクズしか出てこない本当に救いのない話が好きだった気がして。

でも、久しぶりに「よるくも」(漫画)を読みたくなって、気づいた。

私は、クズしか出てこない救いのない漫画や曲は好きだと言うことに。

映画は、ドラマは、映像なので自分にとって記憶に残りやすいからか苦手に思ってしまっただけなのかなぁとぼんやり思った。(まだ不確定)

ヴァイオレット・エヴァーガーデンを映画館で観ていて、ここで、手紙をぐしゃぐしゃにされたら、とか手紙を届けてエイミーが冷酷に受け取らなかったら、とか考えると胸がぐしゃっとなって私は潰されそうになった。同じように、天気の子を観た時、ここで主人公が雨の中ボコボコにされたら、とか刑事を撃ってしまったら、と考えてしまった。結果しなかった。よかった、と思った。終わってからもこれでよかった、と思った。

漫画であれば、私はきっと何も思わず読み進めただろうと思う。

 

何故漫画や小説では救いのない話が大丈夫かというと、それはまだわからない。

でも、もともと救いのない話を読む時、救いのない曲を聞いた時、私は私だけではないんだな、と勝手に共感していた気がする。私が救いの求めないクズだからかもしれない。

私にとっての救いのない曲は、amazarashiや鬼束ちひろなのだけど、(最近のamazarashiは前向きな曲が多いけど)私がこのまま前に進めなくてもいいんだなぁと思って聞いていたからかもしれない。

漫画や小説でいくとバーバ・ヤガー(キヅキアキラ先生)と決壊(平野啓一郎先生)も好きなのだけど、やはり救われないのだ。救われないというかもやもやしたまま終わる。

それが、私のモヤモヤしたところを肯定してくれる気がして好き、という話。

 

 

でも、映像で見るとダメだ。ハッピーエンドであってほしいと思う。

同居人からは、こどもができたからじゃないか?と言われたけど、私はもともと映像で物語を見ることが極端に少なく、(幼少の頃はテレビ映画を禁止されていて、図書館の本ばかり読んでいた&免疫がないからかもしれない。

 

 

ホラー映画も好きなのだけど、やはり主人公が生き残るだろうという安心感のもと見れるのがいいのかもしれないと感じた。

 

 

 

飽きっぽいのでその時はまっていたことが俯瞰しやすいかもしれない。

 

 

WAISのテストを年明けに受けて、結果を聞いた。

 

聞いた事は妥当で、まぁそうだろうな、という感じだったが、一番驚いたのは「テスト中、とにかく独り言が多く、それを言うことで自分で整理しているような印象を受けました」という先生の一言。

夫にもよく言われていたのだけど独り言が大きいだの、独り言なのか人に話していることなのかわからなくて混乱する、とか言われてはいたけど、そこまでないだろうと思っていたけど、やはり独り言が多く大きいらしい。

 

それによって自分が整理できているのでしょう、という一言に着目し、最近思ったことをひたすら手帳に書くことを始めてみた。

 

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それくらいやっている人が多いのかもしれないけれど、私は今まで手帳と言えば事象しか記入しないタイプだったので、見返した時にこの日何もしてないんだっけ?????となることが多く、マイクロ5にその日やれたこと、気になっていることなどをただ時系列につらつら書き出してみることを始めてみた。

案外、書いている時が心地よく、保管して後で見たらこういうこと、思っていたんだなぁと思える日が来るんだろうかと思っている。(今はまだ実感できていない)

 

 

 

 

自分に冷酷な人間性を感じる瞬間。

 

 

年明け早々、不謹慎な話かもしれないが、夫が死んだらどこに住むかを考えている。

今住んでいるところは縁もゆかりも無い土地で、夫が就職していたから嫁いできた。別に悪いところではない。盆地だから寒いけど。

鹿児島出身なので、鹿児島に戻りたいかというとそうでもなくて、そうなった場合どこがいいのか悩ましい。実家と折り合いが悪いせいもあるのかもしれない。極力関わりたくない。枕崎に一時住んでいたのでそこでもいいかなと思ったけど、いなかは大体閉鎖的だし、そうするとほどよく都会の方がいいのかな?とも思う。熊本市とかがいいのかなぁ…

結局しばらくは今いるところに住むんだろうけど、彼を思い出して辛くなるのではないかと思う。

私は大切な人を失った経験がないので、どうなってしまうんだろうという恐怖と適当な人間なのでもしかしたら何も感じないのかもしれないという別の恐怖が入り交じる。

 

とりあえず、今年も健康でいてほしいなぁという願い。

 

 

アスペルガー症候群の私の近況

 

 

最近子供への癇癪が酷くて、このままでは子供の内面によくない影響を及ぼすのでは、と危機感を持った私は11月からクリニックに通院している。

何故なら普通の人の怒ることって理に適っているというか、理不尽でないと思うのですが、私が怒るところってとにかく子供にとって理不尽だろうなと思うことが多く、私自身が子供の頃嫌だったことを子供にしてしまっているという後悔や恐怖があったので…

やっと年明けにWAISのテストをしてみることになった。

夫は別に行かなくてそのままでいいと思うよ、と言ってくれる。フォローするし、気にしなくていいと思うよ、と言ってくれるのだけど、今よりよくなるのであれば行った方がいいだろうな、と私が思ったのだ。

 

 

もともと、自分の母が子供を思い通りにしたがる人だった。進路もだけど、思ったように発言しないと後で怒られる。そして尚且つ、仲良く話していた母の友の悪口を帰宅中などその人のいないところで平気で言う人で、子供心に、何故?いる時に言えばいいのに、と思っていた。

父は父で、そういうことには無関心で、子供の教育に対しては何も言わなかったが、父の方針で私の家ではテレビがほとんど見れなかった。そして、父は納得行かないと店に電話してクレームを言う人だった。(大体それは父の勘違いなだけで店は悪くない)

私は就職して、逃げるように家から離れた。今は年に数回、必要最低限しか帰らない。

8月31日の夜に、というNHKの番組を今更見た。私は学校は嫌いではなかったが、家も好きではなかったので、とにかく学生の頃、居場所がないと思っていた。誰か誘拐してくれないかとか思っているような学生だった。今は携帯電話が普及しているが、携帯電話もなく、ただ家と学校の往復。情報もなく、図書館の本だけが友達だった。

 

 

という話を最近、高校の頃の友達にした。彼女とは高校ではそこまで仲良くなかった。結婚式の二次会で楽しく飲んで、その後何度か飲んだくらいの関係で、それから7年くらい音信不通だった。Twitterで再び繋がりご飯に行く機会ができた。最近アルコール依存症を克服したのだと言う話から、私の話になったのだった。

そこで、「あなたがクレーマー二世にならなくて本当によかった」と言ってくれた。彼女は私の息子とも会ったのだけど、ちゃんと育ってるよ、大丈夫だと思うと言ってくれた。

あなたの中にいる小さな自分を大切にしてあげてね、と言われた。

 

 

私は少し救われたような気になった。

今までそんな話を人にすることがなかった。話しても、大体、気にしすぎだとかそんなものだよと言われてしまったので、蓋をしていた。

 

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話の聞き方の本を読んだ。

私は話をすることも苦手だし話を聞くことも苦手だから、この本はとてもよかった。

相手の話を聴くことに集中するために、自分の考えが浮かんでも横に置く、ということを繰り返すことで聴き上手になるらしい。これからは実践していこうと思っている。

思えば、私がアンガーマネジメントで色々本を読んだ中で唯一家にある、怒らない子育ての本も、この水島先生が書いたものだった。私にはこの先生の言葉が染み込みやすいのかもしれない。

 

 

今日もこどもに怒ってしまったけど、「お母さんも練習中なんだもんね」と息子に言われた。段々私も穏やかに生きられるといいなぁと思った。

 

 

 

 

私のTwitter論。

 

 

いつの間にか、Twitterで気楽に呟けなくなった。

友人の愚痴の呟きが自分のことなのかな?とか自分のせいなのかな?と気になるようになった。

そして私の何ともないつぶやきもこうして誰かの気に留めるようなことを言ってしまっているのではないか、と要は気にしすぎなのだけど。

気にせず、ぽわんとつぶやけるのがいいところなのにな、と思うのだけど、どうもできなくなってしまって辛い。もういっそそれ用のアカウントを作ってしまえばよいのでは?とも思うのだけど、つい先日趣味用のアカウントと日常アカウントを統合したばかりなので、それもどうなのかな~とか思ったり。思わなかったり。

 

それがいいのかな。

それがいいのかもしれない。

何も考えずにつぶやける場所がいつかまた必要になるかもしれない。そのときまた、新しくアカウント作って、好きな物をひたすら好きだと言うんだ~~!と今決めた。

 

 

あと、全然関係ないけど、年明けにWAISの検査をすることになった。

私は自他共に認める発達障害なのだけど、未診断なので(というか親がいないと診断できませんって言われたんだ昔…親の同伴は不可能でそれを言ったらもういい大人なので親いなくても大丈夫ですって今の病院は言ってくれた)、今より暮らしやすくなるといいなぁと思う。