夜の歌

時々このまま消えてしまいたいって思うのは僕らは何故だか儚いものに憧れるから

アンハッピーエンドに対する私の考察。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝と天気の子のネタバレを含むかもしれません。見たくない方はここで閉じていただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を劇場で見てから、私は何となくアンハッピーエンドが苦手になってしまったのかな、と感じていた。

 

 

何故なら、昔はクズしか出てこない本当に救いのない話が好きだった気がして。

でも、久しぶりに「よるくも」(漫画)を読みたくなって、気づいた。

私は、クズしか出てこない救いのない漫画や曲は好きだと言うことに。

映画は、ドラマは、映像なので自分にとって記憶に残りやすいからか苦手に思ってしまっただけなのかなぁとぼんやり思った。(まだ不確定)

ヴァイオレット・エヴァーガーデンを映画館で観ていて、ここで、手紙をぐしゃぐしゃにされたら、とか手紙を届けてエイミーが冷酷に受け取らなかったら、とか考えると胸がぐしゃっとなって私は潰されそうになった。同じように、天気の子を観た時、ここで主人公が雨の中ボコボコにされたら、とか刑事を撃ってしまったら、と考えてしまった。結果しなかった。よかった、と思った。終わってからもこれでよかった、と思った。

漫画であれば、私はきっと何も思わず読み進めただろうと思う。

 

何故漫画や小説では救いのない話が大丈夫かというと、それはまだわからない。

でも、もともと救いのない話を読む時、救いのない曲を聞いた時、私は私だけではないんだな、と勝手に共感していた気がする。私が救いの求めないクズだからかもしれない。

私にとっての救いのない曲は、amazarashiや鬼束ちひろなのだけど、(最近のamazarashiは前向きな曲が多いけど)私がこのまま前に進めなくてもいいんだなぁと思って聞いていたからかもしれない。

漫画や小説でいくとバーバ・ヤガー(キヅキアキラ先生)と決壊(平野啓一郎先生)も好きなのだけど、やはり救われないのだ。救われないというかもやもやしたまま終わる。

それが、私のモヤモヤしたところを肯定してくれる気がして好き、という話。

 

 

でも、映像で見るとダメだ。ハッピーエンドであってほしいと思う。

同居人からは、こどもができたからじゃないか?と言われたけど、私はもともと映像で物語を見ることが極端に少なく、(幼少の頃はテレビ映画を禁止されていて、図書館の本ばかり読んでいた&免疫がないからかもしれない。

 

 

ホラー映画も好きなのだけど、やはり主人公が生き残るだろうという安心感のもと見れるのがいいのかもしれないと感じた。