夜の歌

時々このまま消えてしまいたいって思うのは僕らは何故だか儚いものに憧れるから

俳句を始めてみようと思った

 

アスペルガー症候群(ASD)特有なのかもしれないけれど、こういう話をすると人がどう思うとか、こういう言い方をするとどう感じるとか想像するのが苦手だ。

私の話し方は突拍子もなく始まり(自分の中では繋がっている)、押しつけるようなのだと夫は言う。自覚はない。

約30年間(少しサバ読んだ)、初対面の人とはあまり話さないようにしてきた。何故なら、相手の聞いてる意図がわからずおかしな受け答えをしているんだなぁと感じることが多く、でもだからといって何と答えてよかったのか正解もわからずお互いもやもやしたまま会話が終わってしまうことが多かったからだ。結婚してからは、たまに夫が教えてくれる。ここはこう言った方がよいとか、そういう言い方をされるとこう感じるとか。

その初対面の人とはあまり話さないようにする、というのは結局、解決策ではなかったんじゃないの、と昨日夫に言われ、何か自分を表現する訓練をした方がいいのかもしれないと助言された。例えば俳句とか。

夫は理論的に話す人で、多分君は右脳で考えたまま話すから僕はたまにイライラしてしまうんだろうと言われた。話が整然としていない。オチがない。雑談ができない。自覚がないから何度も同じようなことをして相手が不快になる。

私は一応頭の中で一度考えて反芻してから話している、と言えなかった。考えているつもりで考えられてないのかと思った。

 

話すことが苦手なら聞くのがうまくなればいいと思ったこともあるが、聞くのも苦手なのである。声は目に見えないからうっかりするとすぐ通過してしまう。

何かを考えている訳ではない時も、気づくと相手に話聞いてないでしょと言われてしまう。店内など雑音が多いと人の話は全然聞こえなくなる。笑ってごまかして、笑う話じゃなかったりして気まずくなったこともある。ノイズキャンセリングイヤホンとかいいんだろうか。試してみたいけど躊躇している。

 

自分なりによりよく生きていく、ということはとても大切だと思う。

幼い頃は、ASDとわからずに普通はそういうことしない!とか意味わからず怒られたりしていたけど、自分なりに工夫して生きられる今があるって昔の私は信じられるだろうか。私が昔に戻って教えてあげても昔の私に無言で睨まれて終わりなんだろうなぁ。いいことあるよ。大丈夫だよ。

 

 

 

そわそわしても始まらない。

 

 

ブログなのに、誰も見ていないだろうという前提で文章を書いている。

文章を書く練習をしている。

 

こんな垂れ流しの文章読まされる方もたまったもんじゃないだろうな、と思うから誰にも(手帳のアカウントのところにリンクは貼ってあるけど)ブログ更新しました、などとなるべく言わないようにしている。

 

 

文字を書くことより更に、人と話すことが苦手である。

話すことと聞くこと。

耳から入る情報は私にとって、すり抜けていくものと等しい。まだ文字に書いたり図示してくれた方が理解できる。

学生時代、板書を移すのは早かったが、黒板を使わずただただ話すだけの教師の授業の成績は壊滅的だった。

聞く方が下手なら当然話すことも下手で、度々指摘されるのが倒置法の多用である。述語から言って、主語を言わない。思ったことだけすぐ口に出てしまうので、聞く方はそれが不快らしい。

幼い頃は親に話すことを何度も心の中で考えて話していたので、外で話す時は伝わりやすいように心がけているが、結婚して夫にはうっかり思っていたことをばーっと支離滅裂に話してしまうこと多々。そして途切れる話題。

申し訳ない。

 

 

本を読むことは好きで、たくさん読むし読むからには感想も書きたいけど、書けない。読書感想文は苦手だ。

本を読む割に文章力もない、と言われるけどその通りだと思う。それでも、何か残したくてブログを書くのかなぁと思う。

 

 

 

 

大切な人を亡くすということは。

 

 

感情の軌道修正がうまくいかない。

 

 

友達が知らぬ間に自死して、私は空にいる友達に話しかけることが多くなった。

そういえば、もう会えないんだったね、と思いながら、彼女が好きだったKATーTUNやKis-My-Ft2の近況を話したり私の息子の話をしたり、穏やかだった彼女はきっと空から聞いてくれているだろう。

しばらく会っていなかっただけで、まさか死んでいるとは思わなかった。ツムツムのハートは届いていたし、ちょっとお互い忙しくて会えていないだけだと思っていた。

最後に会った時、こどもにイライラしすぎて壁を殴り骨折したと笑いながら話していて、禁煙していたのに結局また喫煙しちゃってると聞いた時も、あるあるだね、と思ったし、私もそういうときあるよって話していたから余計に涙が止まらなかった。

私にもある闇。

些細なことでイライラして、自傷行為をしてしまう。タバコを吸いたくなる。すぐ死にたくなる。

彼女の最期がどうだったか、知る機会はきっとない。モヤモヤしたまま、ずっと空に話しかけるんだ。

何でも私の先を行っていたけど、ずっと笑っていられると思っていた。年老いても、連絡をとってまたごはんを一緒に食べられると思っていた。寂しいなぁ。

私、今度三兄弟の母になるんだよ、と言ったら彼女は何と言って笑うのだろうか。

 

辛すぎて他の人と彼女の話が出来ない。

線香あげにいこう、と言われたけど私は色々理由をつけて多分行かないのだと思う。

だってそこに彼女はいないのだから。

涙が止まらなくなってしまうから。

 

 

エンディングノートを書いてみる。

 

 

夫の方が早く死ぬと思っている。

 

年上だし肥満だし不整脈あるし。

 

でも、希望としては私の方が先に死にたい、のでエンディングノートを書いてみることにした。

毎日のように、今夫が死んだらどうしようと考えてしまうのを止めるために。

今の生活で夫がいないなんて考えられないけど、他の人より死ぬリスクが高いのできっといつかはやってくると考えるだけで辛い。(夫が死んだらアルコール依存症になってタバコをまた吸うようになって破滅してしまうんだと思っている)もう支離滅裂。

 

とりあえず、口座と死んだら伝えてほしい人と。

軽い感じで書いていって少しずつ更新していけばいいのかなぁと思う。

 

 

 

みんなで食べるごはんはおいしい。

 

 

人のごはんの写真が好きだ。

知っている人だとなおいい。

食べる、ということはやはり幸福に繋がってくるわけで、その人の幸せな時間をお裾分けしてもらった気分になる。

 

幼い頃は食事中会話をしない、という風習があったので、皆は楽しくごはんを食べているということを知らず、皆そうなのだと思っていた。給食の時も何で皆しゃべれるんだろうと思っていたし、食事の時間は苦痛でしかなかった。

しかし、食事中会話をしないと決めていた父が、キャンプやバーベキューとなると、皆でわいわいしていたのも不思議だった。いつもの父はどこにいってしまったのだろうと思っていた。そして、私はそういう時もしゃべることができず、楽しくないなら帰れだの皆としゃべりなさいと言われ混乱したのだった。楽しかったのに。

中学生か高校生の頃に母が、父が私たちの会話に入れないからごはん中会話をしないという風になったのだと教えてくれた。

家族になってくれた夫とはしゃべれるのだが、未だに他の人とごはんを食べるときはうまくしゃべれない。今更できないので聞き役に徹することにしている。

でもお酒が入ると、ごはん中でも会話ができると気づきごはんが楽しめるようになってきた。

 

 

今は、まだ自分が食べるものには無頓着なので、一人のときもごはんの時間を大切にできるようになっていきたい。

ごはんを見ると楽しいことが想像できるようになって、よかったと思う。

 

そんなわけで、人のごはんや生活感を見ていると幸せになれる。

気軽に見れるInstagramはとてもいいツールだと思う。

 

 

クリームチーズテリヤキバーガー

 

 

モスバーガークリームチーズテリヤキバーガーがおいしい。

テリヤキバーガーにとろけるクリームチーズが絶妙においしい。

期間限定ではなくレギュラーにしてほしい。毎日食べたいけどガマンして週一にしている。

そもそも、テリヤキバーガーが好きだ。

幼い頃から、好きなの選んでいいよと言われたら必ずテリヤキバーガーだった。絶妙なバランス。

大きくなって妹と久しぶりに二人でモスバーガーに行った時に、別のものを頼んでびっくりされたくらい、私といえばテリヤキバーガーだったのだ。

その時はテリヤキチキンバーガーを頼んだのだけど。

そういうのが私にはいくつかあって、おにぎりなら昆布。(でもこれは変わって今はしなしなの海苔が好きになって、味は気分で選ぶようになっている)

パンならカレーパンかメロンパン。

スパゲティはカルボナーラ

びっくりドンキーならカリーバーグディシュと味噌汁。

のど飴といえば龍角散のど飴。

飲み物といえばコーラ。

そういう安定を好む性質な気がする。

大人になってやっと、期間限定やその日の体調気分で食べるものを選べるようになった。

 

結局言いたいことは、クリームチーズテリヤキバーガーがおいしいから今日も食べたいということ。

でも昨夜食べたから、数日後にしようかな…本当は飽きるまで毎日食べたい。

 

 

 

 

鹿児島県枕崎市

 

その町は、いつも鰹の匂いがした。


鰹節工場が至る所にあり、港は冷凍の鰹がたくさん水揚げされていた。
(たまに道に冷凍鰹が落ちている時もあった。)
夜は遠くのビニールハウスから電照菊の灯りが煌々としているのをただ眺めるのも好きだった。
台風は毎年通過して、台風中継がテレビであると大体知っている港が映し出されていた。
雪が降ったのは5年住んで一度だけ。
いつも潮風が柔らかく吹いていて、魚臭い。
花火大会は三尺玉が上がるのでその日だけは人がわんさかきて帰りの渋滞がすごい。

専門学校を卒業して、私はそういう街に引っ越した。
初めての一人暮らしはワンルームで、広くはなかったけれど、実家と折り合いのよくなかった自分としては自分の車内以外で初めて落ち着ける空間ができたと思った。
入職した病院では、方言がわからず戸惑い、どこが痛いか尋ねると「つんぶしがいたかー」と言われ、???となったり、鰹の腹皮唐揚げというものが食堂で出て、腹皮??となったり、とにかく新鮮で楽しかった。
つんぶしは膝、腹皮は鰹節を作る時に必要ない鰹のトロの部分らしくその地方では小学校の給食に腹皮カレーというものが出るそうでおいしいらしい。
実際焼いただけでもおいしい。
今でもスーパーで見かけるとつい買ってしまう。
みんな優しくて芋焼酎がおいしくてとてもいい街だ。白波の新酒まつりは必ず行っていたなぁ…今でも焼酎は黒桜島か黒白波を買うようにしている。